2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧

劇場を再起動する暴力――アンチ・オイディプスはまだ早い その4

繰り返せば、ベンヤミンは、バロック悲劇の「根源」を思考するために、同時にギリシア悲劇を見る必要があった。それは、近代=バロックの演劇が「法維持的暴力」の「反復」たらざるを得ないとしても、それがどこかで(例外状況において)ギリシア悲劇の反神…

ベンヤミンのシュミット批判――アンチ・オイディプスはまだ早い その3

シュミットが、近代の「政治」とはまさに「政治神学」であり、世俗化された「神学」だと言ったのもそうした意味においてである。「例外状況」とは、神学おける「奇蹟」に相当するわけだ。したがって、ここでは不可避的に神(話)との再結託が起こるのである…

アンチ・オイディプスはまだ早い その2

では、一方バロック悲劇はどうか。おそらく、ベンヤミンのいう、ギリシア悲劇とバロック悲劇の違いが最も端的に現れるのが、「王」の捉え方においてであろう。 バロック悲劇の王は「被造物の頂点たる者」としての専制君主であり、「君主は歴史を代表する」。…

アンチ・オイディプスはまだ早い

前のエントリーでも述べたように、国会開設と憲法発布に向けた自由民権運動の「欲望」を、天皇が上からの詔勅という形で取り上げてしまったとき、自由民権運動はあらかじめの挫折を余儀なくされた。その時、天皇は、主権者として「法措定的暴力」(ベンヤミ…