選挙と赤い糸

 ジジェクは、ヘーゲル君主制を擁護したのは、われわれが恋愛において「赤い糸」を信じるのと一緒だという(『絶望する勇気』)。人は自分が恋に落ちたのが、まったくの偶然であることを受け入れられない。「二人は赤い糸で結ばれていた」。「赤い糸=運命」という不透明な必然性のようなものが、「現実界」の応答のように二人を導いたのである。

 

 同様に、ヘーゲルの「君主」は、民主主義(君主なき共和制というべきか)という、あらゆる社会的ヒエラルキーが一掃された、透明で偶然性に満ちた領域に、上から不透明な必然性を与える存在である。君主が君主である理由は、誰にもわからない不透明なものだ。「君主は君主である」としか言いようがない。そのような君主=赤い糸の存在が信じられなければ、まったき平等で、だからこそ偶然性にさらされた人民は、途端にお互いへの愛を失い、相互不信に陥る(したがって、石原吉郎は「民主主義は不信の体系だ」と言った。看守(君主)なき囚人(人民)たちのラーゲリだ、と)。そこは、お互いに対する恐怖政治(テロ)が荒れ狂う空間と化すだろう。君主が君主である理由が透明化されれば、誰もが君主になれる可能性が開け、君主の地位をめぐる万人の万人による戦争状態に陥るからだ。

 

 こうして、王殺し=革命後の君主なき民主主義は、常にすでに恐怖政治(テロ)の温床なのだ(この革命性によってであろう、ブランショは恐怖政治を肯定した。ジジェクのいう「ジャコバン的宇宙」というやつである)。それゆえに、ヘーゲルは、君主という「ふた」で、それが噴き出すのを防ごうとしたのである。かつて論じたように、江藤淳戦後民主主義下の天皇を、「共和制プラス・ワン」と呼んだのも同じ理由だ(拙稿「江藤淳の共和制プラス・ワン」参照、「子午線」vol.6)。ヘーゲルや江藤のような「保守」の方が、革命が噴き出すのを恐怖するという形で、むしろ革命をリアルに思考し得たといえる。

 

 民主主義における選挙とは、その民主主義のテロという「ゼロ・ポイント」の「恐怖の瞬間」が露呈する瞬間にほかならない。

 

クロード・ルフォールが述べているように、民主主義が成し遂げるのは、伝統的な権威主義体制にとって最大の危機である瞬間――短期間であれ「王位が空白となりパニックを引き起こす、主君の交代の時期――をみずからの強みに変えることである。民主主義的な選挙においては、複雑な社会的連関のネットワークが多数のばらばらの個人へと解消され、その投票は機械的に数えられる。選挙とはそうしたゼロ・ポイントを通過する瞬間なのである。こうして選挙においては、恐怖の瞬間、あらゆるヒエラルキー的なつながりが分解する瞬間が繰り返し導入され、新しく安定した実際的な政治秩序をつくるための土台へと変容するのである。(『絶望する勇気』)

 

 重要なのは、選挙においては、このテロという透明性が露呈する瞬間、と同時にすぐさまそれが不透明性、不合理性で覆われることだ。選挙とは、「透明なふた」とでもいうべき、透明でかつ不透明なものである。刻一刻と計量化され、透明化=見える化される世論調査とは異質なのだ。「…民主主義が仮にたんなる世論調査になってしまったら――機械的で計量的なものになって、その「行為遂行的な」性格を奪われたら――民主主義は機能しなくなるだろう。ルフォールが指摘したように、投票は(いけにえの)儀式、すなわち社会の自己破壊と再生の儀式であり続けねばならない」。

 

 この選挙と世論調査とを分ける「行為遂行」性の有無が、革命か否かを分けている。この社会を完全平等のゼロ・ポイントへと、いったん自己破壊させようと現れる不透明な意志こそが「人民の意志」である。これは、透明性、偶然性、合理性にさらされる世論調査では形成され得ない。

 

 したがって、ランシエールが言ったように、最も民主主義的な方法は、選挙ではなく古代ギリシャのようなくじ引きというべきだろう(『民主主義への憎悪』)。そこでは、平等であるがゆえのまったき偶然性が貫かれる。だが、確かに、くじ引き民主主義は、全体主義への誘惑から免れるものの、同時に普遍性からも免れてしまう。人は、くじによって全くの偶然で選ばれた者を、ふさわしい候補として受け入れられるほど近代人ではないのだ。「人民の意志」という普遍性が立ち上がるには、ある種の不透明性や不合理性、ザインではなくゾルレンが必要なのである。

 

 近代社会とは、自らが自らを律する自律的な社会である。ここでは、外的で超越的な「権威」にはもはや頼ることができない。だが、先のように出現する「人民の意志」は、近代においてはもはや存在しないことになっている、外的で超越的な権威、すなわち「古代人が不可能な神の意志あるいは〈運命〉の手としてとらえていたものに相当する」のである。いわば、超越性の残滓のように。

 

 つまり、民主主義とは、超越的な王位の「空白」というテロ=ゼロ・ポイントの危機を、不透明で不完全な「選挙」によって瞬時に生成される「人民の意志」という運命の手=赤い糸をもって、これまた瞬時に蓋をするシステムなのである。選挙においては、つねにすでに最もふさわしい候補が選ばれるわけではなく、意外としか言いようのない結果になる。だが、「人民」が「選挙」を受け入れられるのは、まさにそのためなのだ。選挙が、合理的で透明な選択だったなら、誰も受け入れないだろう。

 

 民主主義は、確かにあらゆる社会的ヒエラルキーを一掃し、すべてを平等に均すテロ=ゼロ・ポイントを内在させている。だが、逆にいえば、民主主義が登場する以前は、ヒエラルキーを一掃させるには、実際にテロに頼らざるを得なかったわけだ。それを民主主義は、選挙というシステムによって、定期的にゼロ・ポイントをもたらしながら、すぐさまその崩壊の危機を「人民の意志」でふさぎ、ふさわしく「ない」仮初の「代表」者を、権力の空白に据えるのである。民主主義は王位が「空白」なのだから、原理的に権力の位置を占める代表者はそれだけで「罪」であるはずだ。サン=ジュストの格言のように「誰も罪を犯すことなしには支配できない」のである。だから、ふさわしく「ない」者がしかも期限付きでその座を占めることによってのみ、かろうじて「人民の意志」は溜飲を下げるのだ。

 

 このように、民主主義とは、テロ=恐怖政治を暴発させないよう適度に散らしながら、いかに飼い慣らすかという知恵にほかならない(だが、いったい誰の?)。ならば、民主主義は、ヘーゲル君主制とどう違うのか。両者とも、テロ=ゼロ・ポイントの恐怖をいかに散らすかという知恵だからだ。

 

 日本では天皇制という君主制(くどいようだが、ヘーゲルのいう意味における)によって、「人民の意志」が噴き出す恐怖が重ねて飼い慣らされている。選挙+(戦後)天皇制とは、「人民の意志」に対する二重のふたなのだ。

 

中島一夫

 

性急さについて――金井美恵子へ向って一歩前進二歩後退 その2

 完全犯罪とは奇妙なものだ。それが真に「完全」なら、「犯罪」そのものが無と化すからだ。『絢爛の椅子』の敬夫を苦しめるのは、まさにこのことだ。

 

電話をかけたのがミステークであると思っても、それは今さらしかたのないことであり、最初の犯罪が迷宮入りになった時、敬夫は〈誰がやったのか判らないことなんかつまらない淋しいような気がした。俺がやったんだが俺を犯人にすることはできないなら腹いせにもなるが、誰がやったのか判らなければ遠い空の星を眺めているのと同じである。〉と思うのだ。二度目の犯罪を電話で新聞社に知らせることは、無名の語り手として、すなわち敬夫という名前を持たない語り手の私として、犯罪を語ることである。(金井「絢爛の椅子」)

 

 完全犯罪が不可能なのは、犯人が無能だからでも警察が有能だからでもない。つきつめれば、われわれが「遠い空の星を眺めている」ことに耐えられないからである。それは、われわれの「おのれの内に他者が存在する」からにほかならない。金井は、カフカの『断食芸人』と合わせて敬夫についてこう述べる。

 

断食の行為者である芸人が同時にただひとりの全てを知る観客である事情は、星だけが知っている敬夫の殺人と似ている。おのれの断食に対して絶讃されたいと望んでいる芸人と、犯罪の犯人であることを新聞社と警察に告げ知らせる敬夫には、共通の踏みはずしがあるのだ。自己と死との親しいまじわりは本来が孤独な営為でしかありえないのにもかかわらず、それは他者を必要としている。〔…〕おそらく自己の内のこの他者を除いては、わたしたちは書くことがないのであり、それはひとつのことを言うために二つの言葉が要ること、「それを語る者が、つねに他者だからだ」(ブランショ)という無限の運動の中に、芸人も敬夫も存在していることの証しに他ならない。

 

たしかに、敬夫が犯行の直後、見あげた空にまたたいていた冷たい星は、おのれの内なる他者、それを除いては語ることの出来ないひとつの言葉によって結びあわされる他者であった。

 

 「自己と死との親しいまじわりは本来が孤独な営為でしかありえないのにもかかわらず、それは他者を必要としている」。「生まれるときも死ぬときも一人だ」という俗説に反して、人は一人では死ねない。自らの死を認識するのは常に他者だからだ。死は、「本来が孤独な営為でしかありえないのにもかかわらず、それは他者を必要としている」のである。人が死ぬためには二人いなければならない。「ひとつのことを言うために二つの言葉が要る」とはそういうことだ。それでも一人で死んでいかねばならないとき、人は「おのれの内に他者が存在すること」を認識しながら、しかも孤独に死んでいかねばならないという二重の孤独にさらされるのである。

 

 同様に、断食芸にしても犯罪にしても、行為自体は「孤独な営為」だ。だが、それらは他者に認識されなければ無、夜空の星と同じだろう。この無に耐えられずに、彼らは他者に「語ってしまう」のである。他者に語らなければ、行為そのものが存在しないからだ。こうして、書くことは、常に「語らされてしまうこと」に促されるように性急にはじまる。

 

おのれの行為が成立するためには他者が必要であり、作品というひとつの世界の存在もまったく同じ仕方で成立している。作品が成立するためには読者が必要であり、それは読者によって読まれることによってはじめて、あらわな原質性の周辺をほのかにあらわしはじめる。書くという行為の結果であるはずの作品を一等魅惑的な経験としての読書という行為を通して読み得るのは作者以外の存在であろう。

 

 この言葉を「読者論」やら「読書行為論」として読んではならない。むしろ、金井はそんなものは存在しないと言っているのである。

 

 「おのれの行為が成立するためには他者が必要であ」るとして、だが重要なのは、この時「他者」も自分のままでいられなくなるということだ。「作家は、「私は」という力を失う」が「その場合、自分以外の人々に、「私は」と言わせる力も失う」のである。まさに「私」も「彼」もなく「誰か=非人称」が「話す」ということ。この非人称の「ひと」と「ひと」と……の連鎖が「明かしえぬ共同体」(ブランショ)ということになろうが、今は措く。あの「性急さ」へと性急に戻ろう。

 

 では、「語る=語らされる」ことによってはじまる「書く」ことが、前者と異なるのはどこか。それは、「死」に対して「制御」すること、「死」に対して「主権的」たることだと金井は言う。

 

楢山節考』の場合、死に対して主権的にふるまうのはその死を死んで行くおりんであることは、最後に降って来る雪によっても証明されることだが、辰平もまた肉親の死を前にして、死に対して主権的たり得ることの意味を分ち持つことになる。それは、辰平がお山まいりの掟を二つ(山へ行ったら物を言ってはいけない、山から帰る時は必ずうしろをふり向かない、という掟)も破っておりんに話しかけてしまうことによって、彼が一瞬おりんと分ち持った死への主権である。しかし、それはおのれ自身の死ではない。深沢七郎は、おりんという特異な老婆を書くことによって、死に対する主権的な立場を書き、それはまさしく深沢自身の作家としての存在の場であったが、ここに山から帰って来る辰平をおかなければ、誰がその死の意味を伝えることが出来るだろう。もともと、楢山まいりとは、肉親である二人によって行なわれるものであり、二人の内の一人は、死からつき帰されるはずなのだ。

 

 かつて金井は、おりんを背負って楢山へ行き、そこから帰って来る辰平こそが作家なのだと書いた(「深沢七郎へ向って一歩前進二歩後退」)。ブランショが言うように、まさに「人は、死を前にしておのれを支配し続け、死に対して主権的な関係を打立て得た場合にのみ、書くことが出来る」(『文学空間』)のだ。

 

 もちろん、金井が言うように、「誰もがこの自発的な死に対して、支配的な態度をとれるわけではな」い。例えば、「楢山の死に対して主権的なふるまうことのない出来ない者たちは、楢山へ行くことはなく、七谷の所から帰ってきてしまうのだ」。彼らは主権を分ち持つもう一人を持たない。楢山まいりとは、「二人によって行なわれ」、二人で「死を共有しつづけ」なければならないものなのである。

 

 この「死」の「共有」=死の共同体(ブランショ)は、従来、概ね否定神学的な不可能性として捉えられてきた。だが、もし死を共有できなければ、われわれは死ぬことすらできないのである。辰平がおりんと分ち持つ「死に対して主権的たり得ることの意味」とは、そのことにほかならない。「否定神学」だ「不可能性」だといったところで、この条件が不可避であることにかわりがない。

 

 「主権」とは「分ち持つ」ものではないだろうか。われわれは、死への「主権」を「分ち持つ」ことなしに、ついに「死に対して主権的な関係を打立て得」ないのだ。それが、国家主権や君主権はもちろん、国民主権にすら理解されていないことである。そして「主権」を「分ち持つ」ことができなければ、再び三度、死=主権を所有する「主」と持たざる「奴」との弁証法が悪無限に作動するだけだ。そこには、死=主への恐怖から引き起こされる転向か、あるいは主権への思考をはなから放棄した「奴=大衆」の無条件の肯定しか待っていないだろう。つまりは、亀井勝一郎の道か、吉本隆明の道か、である。

 

 ブルジョア的主体は「主権」を個人で所有できるものと思っている。ゆえに、常にこの分け持つ共同性を分断し、「主権」的たり得ない者らをあっさり排除するだろう(だから「死ぬときは一人だ」はブルジョア的主体の言説だろう)。したがって、われわれはこの死の共有を、不可能な否定神学だといって簡単に打ち捨てるわけにはいかないのだ。パンデミックによって、家族ですら死の共有を禁じられている現在、このことの意味はより切実になっている。市民社会の安全安心のために、われわれは最も死を共有すべき他者と分断され、露骨に「主権」を失わされているのである。

 

 『楢山節考』の辰平は、「一瞬おりんと分け持った死への主権」を手にした後、「死からつき帰される」。そして「性急に」死を他者へと「語る=語らされる」のである。あの特権的な「絢爛の椅子」に座って。自分が語らなければ、おりんの死は「遠い星を眺めているのと同じ」になってしまうからだ。「それはまさしく深沢自身の作家としての存在の場であったが、ここに山から帰って来る辰平をおかなければ、誰がその死の意味を伝えることが出来るだろう」。

 

 そして、「絢爛の椅子」の敬夫もまた「楢山帰り」の一人である。「敬夫を成立不能のはずの行為へかりたてる直接の動機は、父親の貧しい犯罪とそのみじめな自白にあったのであり、父親の無意味で歯がゆいほどの人のよさ――すなわちおのれの行為に対する支配と主権の欠如――が敬夫には口惜しくてしかたがなかった」のだ。あたかも敬夫は、父が自覚もないままにあっさり放棄してしまった(ゆえにラストではあっさり警察側についてしまった)行為に対する主権=「死への権利」(ブランショ、以下参照)

 

knakajii.hatenablog.com

を取り戻そうとするかのように、犯罪を行い、性急に自白するのである。

 

 この「性急さ」は「批判」されこそすれ、決して「否定」されてはならない。否定され排除されてしまえば、われわれは永遠に「主権」を失うほかはない(それは「前衛」なるものが、必然的にはらむ「左翼小児病」的な性急さへの警戒を不断に怠らず、なお「前衛」的にたり得るかということでもあろう。すが秀実金井美恵子レーニン主義」参照(「早稲田文学」二〇一八年春号))。だからブランショは、辰平同様、「振り返るな」という掟を破ってしまうオルフェウスについて言う。

 

オルフェウスは性急という罪を負っている。彼の過ちは、無限に汲み尽そうとし、期限のないものに期限を置こうとすること、自身の過ちそのものを無限に耐え忍ぼうとしないことにある。〔…〕しかし真の忍耐は性急を排除するものではない、それは性急の内奥なのであり、無限に耐えられ無限に忍ばれた性急のことなのである。オルフェウスの性急は従って正当な心の動きでもあるのだ。(『文学空間』)

 

 「書く」とは、この「無限に耐えられ無限に忍ばれた性急のこと」にほかならない。作家と語り手は違う? だが、内なる性急な「語り手」と分離された「作家」など何ほどのものでもない。それは端的に遠い空の星と同じ、無だ。そうではなく、無限に「絢爛の椅子」に座り続け、しかもその椅子が促す性急さに無限に耐え忍ぶのが「作家」なのだ。作家とは、性急さに向って一歩前進二歩後退し続ける者である。「彼ら」が敬夫のことを「見つけるまで」、そして「言いだすまで」。それは、何という「刑罰」だろうか。

 

続けなくちゃいけない、おれには続けられない、続けなくちゃいけない、だから続けよう、言葉を言わなくちゃいけない、言葉があるかぎりは、言わなくちゃいけない、彼らがおれを見つけるまで、彼らがおれのことを言いだすまで、不思議な刑罰だな、不思議な過ちだな、続けなくちゃいけない、(ベケット『名づけえぬもの』安藤元雄訳)

 

中島一夫

 

性急さについて――金井美恵子へ向って一歩前進二歩後退

 

 

  作者と語り手は別のものだ。そんなことは、今さら言うまでもない。どんな小説の「教科書」にも書かれている。だが、この言葉自体が、両者の違いを恐れていないならば、これに勝る茶番もあるまい。だから、たいていの小説の書き方の「教科書」はつまらない。「書く」ことのヤバさに一向に触れていないからだ。

 

 金井美恵子のエッセイ「絢爛の椅子」(一九七〇~七一年。『金井美恵子エッセイコレクション3 小説を読む、ことばを書く』所収)は、読む者をいつも震撼させる。

 

自白を絶対にしない犯行を計画しようと思った時、あの絢爛の椅子に坐ろうと決心した時、最初から語ってしまうことは決められていたも同然だった。絢爛の椅子とは、語る者のために用意された椅子であり、それはついに死を眼前としている。語ってしまうことは破滅であり、犯罪者としての罰を受けることになるのだ。これは敬夫の最初の計画とはまったく別の結果、予想もしなかった結果だ。彼にはまるで犯罪という概念が自白することを通してしか存在していないようであり、世間で敬夫のおかした犯罪というであろうあの二つの殺人は、彼にとってある手続きとして当然行為されるべき行為としてしか意味がないかのようだ。これは実に驚くべきことといわなくてはならない。

 

 深沢七郎の短編「絢爛の椅子」を、小松川高校事件に引きつけて「犯罪心理学」的に、また「俗流社会学」のように読むのはありふれている。そうではなく、金井は、これを「敬夫」が「〈作家〉になる」話として読むのである(「敬夫が李珍宇と等身大であるとはわたしは思わないが、しかし、敬夫は〈作家〉になるのだ」)。

 

 敬夫は、絶対にバレない犯行を目論んだはずなのに、あの「絢爛の椅子=容疑者の椅子」に座った途端、ベラベラと自白してしまう。いや、この言い方は因果が転倒している。むしろ、敬夫は「椅子」に座る欲望を抑えられないのだ。そのために、「もう一度事件がなければだめだ」と、わざわざもう一人殺したのである。

 

 「バレないこと」を目論んだ瞬間、もう人は告白の「椅子」から逃れられないのではないか。「バレないこととは、最初からあの木の椅子、すなわち容疑者の椅子に坐って「僕は無罪だよ」と言い切ってみせるために要請された犯行のこと」だからだ。「バレないこと」は、すでに「バレる=椅子に坐る」ことを内包しているのである。恐るべきことに、「バレないこと」は常にすでに「バレること」なのだ。これは、警察の捜査能力と何の関係もない。

 

 敬夫は、「語ってしまうことは破滅であり、犯罪者として罰を受けることになる」ことなど百も承知している。にもかかわらず、「彼にはまるで犯罪という概念が自白することを通してしか存在しない」のだ。だから、新聞社にたれ込んでは自ら足が着くようにしてしまう。いや、彼には「行為」というもの自体が「椅子に坐る」こと、すなわち「語らされてしまう」ことをおいてほかにないのである。金井が、敬夫とは「作家」であり、すなわち「語り」が、むしろ「語ってしまうこと」「語らされてしまうこと」でるのを骨身に知る存在だと述べるゆえんだ。

 

 「語ること」に「主権」など存在しない。それは、いくら主権的、主体的に行っているように見えようとも、必ずや抑制できない不自由な行為としてある。それは、「作者」と「語り手」は別物だといったような抽象的な問題ではすまない。それどころか、むしろ「作家」は「語り手」を、自らとは別のものとして意図的に区別することなどできないのである。「書く」者に「語ること」をコントロールすることなどできない。「書く」ことのはじまりは、いつも「語らされてしまうこと」によって、始めさせられてしまうのであり、「作家」に「椅子に坐る」「わたし」を拒むことなど不可能なのだ。

 

「わたしは……ある老女のことから書きはじめるつもりでゐたのだが、いざとなると老女の姿が前面に浮んで来る代りに、わたしはわたしはと、ペンの尖が堰の口ででもあるかのやうにわたしといふ溜り水が際限もなくあふれ出さうな気がするのは〔…〕」

 

 金井が、よく「書くことのはじまり」について引く石川淳『佳人』の冒頭だが、この「わたし」について金井は言う。

 

〔…〕書くことを志した者は、わたしの意味を骨身に知らなければならないのである。わたしとは何者か? わたしたちにはまだそれを、小説という形態の中で知ることができないのではないか。

 

 言うまでもないが、この「わたし」は、私小説の「私」とは何の関係もない。それどころか対極的なものだ。いざ「書く」となると、「ペンの尖が堰の口ででもあるかのやうに」「わたしはわたしは」と「際限もなくあふれ出さう」とすること。それは「語るまい」と目論んだ敬夫の犯罪が、にもかかわらず「わたしはわたしは」と「語ってしまうことへの性急さ」へと「急傾斜」していってしまうことと同じである。金井が、敬夫に「作家」を見るのは、この「性急さ」においてほかならない。

 

『絢爛の椅子』の敬夫の殺人行為にあるのはあのおそるべき性急さ、おそらく奇妙な情熱に魅入られた魂がそれゆえに燃えあがり罰せられるところの性急さである。しかし、放縦と性急はそれほど別のものではない。もともと、語りとは、その性急と放縦によって語られはじめるのであり、この二つがなくては、わたしたちは書くことさえはじめられないではないか。〔…〕書く者を恐れさせるのは、語っているのは誰か、という問題になってくるだろう。

 

 書く者にとって、語る「わたし」は常に「誰か」わからないものとしてある。ブランショフーコーがいうように、「非人称」の「誰かが語る」のである。

 

だから、まず存在するのは「誰かが話す」であり、無名のざわめきであり、そのなかで、可能な主体にとって様々な配置が組み立てられるのである。「言説のたえまない、無秩序なひしめき」。フーコーは何度もこの巨大なざわめきを引き合いに出し、自分もそのなかに位置したいと願うのだ。

 

フーコーブランショと一致する。ブランショは、あらゆる言語学的な人称体系を批判し、主体の様々な場所を無名のつぶやきの厚みのなかにおくのである。始めも終わりもないこのようなつぶやきのなかに、フーコーは身をおこうとするだろう。(ドゥルーズフーコー』)

 

書くことが、終りなきものに身を委ねることであるとき、この終りなきものの本質を保持することを受入れる作家は、「私は」という力を失う。その場合、自分以外の人々に、「私は」と言わせる力も失う。だから、彼は、彼の創造力がその自由を保証する登場人物たちを生かすことなど、決して出来ない。小説の伝統的形態としての登場人物という観念は、みずからの本質を探索する文学によって、おのれの外に引出された作家が、世界やおのれ自身との関係を恢復しようとするかずかずの妥協策のひとつにすぎぬ。

 書くとは、語ることを止め得ぬもののこだまとなることだ。――そして、それゆえに、私は、こだまとなるために、この語ることを止め得ぬものに何らかの方法で沈黙を課さねばならぬ。(ブランショ『文学空間』)

 

 作家は「語ることを止め得ぬ」「非人称」の「誰か」の「こだま」となって「書く」。あくまで敬夫という「登場人物」は、そのように「おのれの外に引出された作家が、世界やおのれ自身との関係を恢復しようとするかずかずの妥協策のひとつにすぎぬ」のである。岡本かの子が、『雛妓』に、読者を混乱させるのが目に見えていながら、三人の「かの子」を登場させてまで、「止め得ぬ」「語り」と「妥協」せざるを得なかったゆえんだ。

 

作品中の語り手と、作品の書き手である作家が違うものだという、自明の理があり、当然のこととして、岡本かの子はその理をわきまえていたはずだったが、そのうえでなお、語り手である副主人公のわたくしをあえてかの子という名前にし、さらには主人公をもかの子と名付けたのだ。こうしてここに当然出てこなければならない問題はひとまずおくことにして、岡本かの子をつき動かしていた情熱が、おそらくは、この三つのかの子という名前であったということを、ひとつの予測として述べておくことにとどめる。(金井「絢爛の椅子」)

 

 ブランショが言うように、ここではもはや、作家は「「私は」という力を失」っており、しかも「自分以外の人々に、「私は」と言わせる力も失う」。念のため断っておくが、先の石川淳のあふれ出る「わたしはわたしは」と、このブランショの「「私は」という力を失う」こととは、一見逆に見えるが、完全に同じことだ(このことは「私小説」という概念を無効化するはずだが、ここでは措く)。作家とは、この座らないことは許されない「絢爛の椅子」に、にもかかわらず、まるでそれが「特権」であるかのように座る存在なのだ。

 

 それにしても、作家を、この「椅子」に座らせるのは、いったい誰なのか。

 

(続く)

 

武田泰淳の恥ずかしさ その3

 

 

 武田泰淳が、まさに一九六八年に書いた『わが子キリスト』は、その前年に文化大革命下の中国を訪れ、翻って日本の戦後民主主義における天皇へのフェティシズムを作品化したものではなかったか。

 

 舞台はローマ帝国に支配されたユダヤという世界である。この支配と被支配、主人と奴隷、天上と地上の関係性に覆われた政治の「無限」空間を舞台化するために、ローマ「帝国」が設定されたのだろう。泰淳は、その中にイエスやユダ、マリアらを放り込み、たちまちそれらの超越性、神秘性を相対化してしまうのである。

 

 征服地ユダヤの完全支配を目論むローマ帝国の「政府顧問官」は、新たな統治に向けた「秘密の計画」を部下の「おれ」にもちかける。

 

「もしも、ユダヤ人どもの中に、たよりになる指導者が一人でも存在するならば、そ奴と連絡してそ奴をわれらの意志どおりに動かし、ユダヤ人どもをわれらの意志どおりに支配することができる。もしも、その指導者がわれらの命令にしたがうことを拒絶するならば、われらはそ奴を消してしまえばよろしい」

「〔…〕強力なる指導者を失った彼らの仲間うちが、そのためどのように乱れに乱れようとも、われらは喜んだり悲しんだり気にかけたりする必要がないが、その乱れ方がある一つのけしからぬ方向に傾き、それによってわれらの勢力が損害をうけぬようにするための警戒はおさおさ怠ってはならぬ。警戒するだけでは足りぬ。むしろ、積極的にこちらの好む方向へ、奴らの乱れを導いてやる明確な方針、策略を打ち出さねばならぬ。つまり乱れる奴らのまっただ中に、ハッシとばかり強靭なる杭を打ちこみ、それにわれらの太い手綱をゆわえつけねばならぬ。その杭とは何か」(『わが子キリスト』)

  

 むろん、ここには戦後、天皇を宗教指導者として、「けしからぬ方向=共産主義革命」に傾かないよう日本の統治に利用しようとしたアメリカ占領軍(あるいは敗戦前の日本と中国の関係)が反映されていよう。本作のローマ帝国が「やっかいな蛮族ども」を統治する必要が生じてはじめてユダヤ人という他者に直面したように、アメリカは戦後はじめて日本という他者に(日本は戦前の中国に)直面したのである。その際、従来のように武力で植民地化するのとは違った、精神を傀儡化するための新しい「杭=指導者」が必要になったのだ。

 

「べたべたとわれらにねばりつく妥協主義者。もうけ仕事にはげむぬけ目のない密偵、内通者、裏切者。古くさい権威を看板にして、どうやら小グループの声明を保っている旧式小頭。それらは、丈夫と保証できる『杭』にはなりえんのじゃ。わしらは、いいかな、最新式の政治学の尖端を行くわしらは、今までとは全く種類のちがった、今まではとても指導者とは想われなかったような、ざん新なる『指導者』を奴らの中から発見せねばならんのじゃ」〔…〕「発見するということは、つまるところ、育てあげ製造するということなのだ。まぼろしの指導者、まぼろしの予言者、部落民どもの夢とねがいの根源をなす『力』を、奴らにかわってわしら自身の手で、彼らの眼の前にありありと出現させてやるのだ」

 

 その時に「指導者」として選ばれたのが「神の子」といわれるイエスだった。そして、イエスが唯一の指導者=杭として君臨することで、ユダヤ全体が去勢され統治されることになる。占領地ユダヤの女であるマリアに種を宿し、実はイエスの「生みの父」である「おれ」は、マリアの夫であり「育ての父」である「大工ヨゼフ」に、もしイエスが神の子であれば、神の子の親が人間であっては矛盾なのだから、おれもお前もマリアも「無かった人間になっちまう」とぶちまける。そもそも、神の国が近づき、神が最上の支配者になれば、ローマ帝国の皇帝以下、政府顧問官やその部下の「おれ」など支配者的な存在そのものがいらなくなり、ひいては被支配者らも無と化すのだ。

 

「そうかい、そうかい。男も女もみんな無かったことにしたいんだな。そうすりゃお前の恥しさも消えてなくなると言うもんだ。では、うかがいますか。何が一体無かったものでなくて、有ったものなんですかね」

「それこそ神の子、イエスでしょうが」

「あいつか」

にがい薬液を咽喉もと一ぱいに詰めこまれた思いなんだが、さて、吐き出すわけにはいかないのだ。あいつは顧問官殿やおれたちにとって、どうしたって有った男でなければならないからだ。

「あいつかい? その点は、おれとお前の意見は一致しているのさ。一致してはいるが、めいめいその目的がちがうからな」

 

 神の国においては、「男も女も無かった」(=去勢された)者になり、唯一イエスだけが「有ったもの」となる。重要なのは、その時、「そうすりゃお前の恥しさも消えてなくなる」と言われていることだ。すなわち、神の国においては、「男も女も無かった」者として去勢される「恥しさ」が、イエスというフェティッシュによって「否認」されるのである。それによってユダヤ人たちを統治できる(去勢=統治は「否定」されるわけではない)ので、「おれ」たちにとっても、イエスは「どうしたって有った男でなければならない」のだ。

 

 神の子イエスがフェティッシュとして機能する神の国という象徴界においては、ユダヤ人のみならずローマ帝国全体が「無かった人間」になり、イエスだけが「有ったもの」として「欲望の原因」とならねばならない。だからこそ、「おれ」も、「あいつかい?その点は、おれとお前の意見は一致しているのさ」とヨゼフに同意しながらも、「めいめいその目的はちがう」とエクスキューズしなければならないのだ。

 

 フェティッシュとは、本当に欲している欲望の対象ではなく、あくまで象徴秩序を安定させるための「原因」(対象a)として作動するのである。もし「欲望の原因」であることをやめれば、「おれ」にとってイエスは、単に「女あさりの名人であるおれの種子を宿して生まれてきたお前さん」という「もの」へと堕してしまうだろう。しかもイエスは、「ユダ」の言うように全員一致で処刑され、その後「復活」してユダヤの不滅の「象徴」になるはずなのだ。全員一致の王殺しによって(八・一五革命)、戦後に「象徴」として「復活」した天皇のように。今作のイエスは、戦後の天皇のように、トーテミズムとフェティシズムの野合として存在しているといえるだろう。

 

 ラスト、確かにイエスは「復活」する。だが、それは「おれ」と「お前=イエス」の入れ替わりの劇として起こる。

 

「釘をひきぬき傷痕をしらべるため、おれははだしになった。おれはすでに、やっかいな甲冑はぬぎすて、ユダヤの貧民みたいな、これ以上ぬぎようのないかっこうをしていた。お前をはりつけにしたと同種類の釘が、いつのまにかおれの片足を刺しつらぬき、お前の死体にあったのと同じ傷口がおれの片足にひらいていた。ただし、お前の傷口は釘三本のほかに、槍二本でつくられたものだ。

お前に対する、こらえ切れぬほどの深い愛情(いや簡単な親しさだったが)が湧き上り噴き上ってきて、おれは釘を右足の甲にあてがい、石をとりあげてそれを力いっぱい打った。〔…〕おれが誰の命令によってそんなばかばかしい「実行」をやっているのか、誰にもわかるはずはあるまい。最高顧問官どのか、裏切者ユダか、母マリアか、それともお前の意志がそうさせたのか、そんなことは判明したところで何の意味もありはしなかった。〔…〕

 世にもあわれなる「寡婦」と、世にもけなげなる美少年は、共におれの手足の釘の傷痕に気づいたのである。十字架から降ろされたときのお前と同じで、ほとんど裸同然になっていたおれを、二人とも別々に「よみがえったイエス」と認めたことはまちがいない。

 

 ここでは、「父=おれ」と「子=イエス」との転倒が「いつのまにか」起こっている。のみならず、生と死(復活)も、支配と被支配も、地上と天上も、ここでは何もかもが転倒しているといってよい。顧問官と「おれ」が目論んだイエス=宗教指導者による計画的統治とは違う、まったく意図とはズレた形でイエスの復活は起こる、いや「実行」されるのだ(「おれが誰の命令によってそんなばかばかしい「実行」をやっているのか、誰にもわかるはずはあるまい」)。歴史は、かくも縦一筋(時間)に進むのではなく、横へ横へ(空間)とズレていく。それこそ司馬遷史記』の世界、他者のいない一国史ではなく、他者に囲まれた「無限」空間における「世界」史というものだろう。

 

 だが、一九六八年に書かれたこの作品において、最も注目すべきは、そのズレが「似ている」ものによって引き起こされたという事実である。顧問官は、「おれ」とイエスを比べて言う。「あの男と、お前さんとは、年齢こそちがえ、よく似ていると申すのだ。似ているどころか、親子のように瓜二つだと報告するのだ。その報告をききとったあと、わしは、どうしてお前さんがわしに、いままで、その重要きわまる報告をしなかったのか、いぶかしく思ったよ」。

 

 イエスがあくまで「わが子キリスト」、すなわち「おれ」に「似ている」「わが子」に設定された意図がここにある。前回引いた、王寺賢太によるすが秀実の革命戦略の解説を思い出そう。その言葉は、『わが子キリスト』という作品に驚くほど当てはまるはずである。

 

「フェティッシュに「正面攻撃」を仕掛け、秩序を「打倒」するのではなく、むしろフェティッシュフェティシズム的に接近しながら、「似ていること」によってそこから隔たりつつフェティッシュの「もの」性を露わにし。象徴秩序を内側から崩落させるこの戦略は、主体の「表現」であるどころか、「私とは他者である」というランボーの詩句のごとく、主体が他者と化し、自らのうちに隔たりを迎え入れる脱主体化の戦略でもある。これこそが、すがが疎外革命論とも疎外論批判ともたもとを分かちながら提起する六八年の革命戦略なのだ。」(『増補 革命的な、あまりに革命的な』解説)

 

 『革あ革』の読者には断るまでもないが、「似ている」ことによる革命戦略とは、例えば赤瀬川原平による千円札と「似ている」模型千円札という「芸術作品」が露呈させた、貨幣の糞尿性(フェティシズム)を指している。その等価交換の擬制を暴くロジックは、いまや貨幣が労働力商品の等価交換=平等性を正当に表現するものであるなどとは誰も信じなくなっているほどに、資本制の「象徴秩序を内側から崩落させ」ているといってよい。

 

 同様に、おそらく泰淳は、この作品で、イエス天皇におけるフェティシズムを「露わ」にしつつ、ラストで「おれ」と「似ている」イエスとが入れ替わることで、「おれとはイエスである=私とは他者である」とばかりの主人公の脱主体化を描いた。さらには、それによってあらゆる位階の転倒が引き起こされ、その帰結として戦後天皇制―民主主義の「象徴秩序を内側から崩落させ」ようとしたのである。泰淳には、『貴族の階段』や『富士』といった二・二六事件にまつわる作品もあるが、それらはどちらかというと天皇フェティシズムに憑かれ吸引されてしまったように見える。むしろ「戦後民主主義フェティシズムに対するフェティシスト的闘争」(王寺)たり得ているのは、この『わが子キリスト』の方ではないか。

 

 末尾の一文「イエスよ。かくしてお前は復活した。そして神の子イエス・キリストとなれらた。誰がそれを疑うことができようか」は、まるで「天皇制と癒着した戦後民主主義という「作品」は、かくのごとくフィクションです」と暴露する断り書きのようだ(それだからか、本文との間もこの末尾だけ不自然に一行空いている)。

 

 見てきたように、何せイエス自身、実際に「復活」してはいないのである。にもかかわらず、平然とこのように「復活した」と書かれることで、その虚構性はよりあからさまになるだろう。「誰がそれを疑うことができようか」とは、何というアイロニーか。それは、むしろ「疑わずにいられようか」、いや、明確に「疑え」と読むことを促しているのだ。

 

中島一夫

 

武田泰淳の恥ずかしさ その2

 

 すが秀実が、武田泰淳の『司馬遷』に見出すフェティシズムとは、次のようなものである。

 

言うまでもなく、司馬遷もまた、銃後の刀筆の吏である。では、司馬遷が弱者であり、他の者が強者ぶるのは、何の理由によるのか。それは。前者が宮刑を受けた「生き恥さらした男」であり、後者が恥をさらす必要のない者だったところから来る。だとすれば、「銃後にあって強者ぶる」者の「刀筆」は、司馬遷の失った男根にほかならない。司馬遷は「刀筆」=男根を持たぬ者であるにもかかわらず、書くのである。〔…〕

男根=「刀筆」を持たぬながら、ものを書くという行為は、去勢を否定することではない。その者にとって、すでに男根は否定されているのだから、それを再び否定したとて、男根が再建されるわけではないからである。それはむしろ、男根の不在を否認することなのだ。去勢の否認を、フロイトに倣って、フェティシズムと呼ぼう。フロイトによれば、フェティッシュは去勢の脅威に対する勝利のしるしであり、また去勢からの防禦、すなわち去勢への抵抗にほかならないのである。〔…〕フェティシズムとは、この場合、弱者の――すでに去勢された者の――否認による抵抗と、ある種の理想化の意味である。(「方法としてのフェティシズム」『小説的強度』)

 

 フェティシズムとは、去勢の「否定」ではなく「否認」である。去勢(男根の不在)という衝撃的な光景を目にした際、知覚そのものは消えずに残っているものの、その知覚を認めない=「否認」する。重要なのは、そのとき知覚そのものは存在しているということだ。

 

 一方、「否定」は、知覚自体をまさに「否定」してしまう。だから「恥ずかしさ」が抹消されてしまうのである。恥ずかしさは、知覚が残存しているからこそ生じる。「否認」には恥ずかしさがつきまとう。フェティシズムとは、その「恥ずかしさ」のことであり、それによる抵抗のことなのだ。

 

 では、フェティシズム=恥ずかしさが抵抗であるとはどういうことか。すがは、竹内好の『魯迅』の一節を引く。

 

文学は無力である。魯迅はそう見る。無力というのは、政治に対して無力なのである。それは、裏から云えば、政治に対して有力なものは文学ではない、ということである。これは文化主義だろうか。確かにそうである。魯迅は文化主義者である。しかし、この文化主義は、文化主義に対立する文化主義である。「文学文学と騒ぐ」こと、文学が「偉大な力を持つ」と信ずること、それを彼は否定したのである。(『魯迅』)

 

 「文学文学と騒ぐ」のは、先の泰淳の「銃後にあって強者ぶる者」である。上の一節の「文学」や「文化」を「書くこと」に、「政治」を「去勢」(する力)と読み替えてみれば、この一節が今まで述べた文脈にあることがわかるだろう。いかに「書くこと」は去勢に対して「無力」であるか――。

 

 この「無力」にルサンチマンはない。「書くこと」が(政治的)去勢に対して「無力」であることは不可避であり、有力であることは不可能である。なるほど、これは「文化主義」ではあるが、あくまでその「無力」を「否定」しない。「無力」を知りながらも「否認」するという「文化主義に対立する文化主義」なのだ。

 

 前回述べたように、柄谷行人が、武田泰淳の「恥ずかしさ」を媒介として、「空間」的な「世界史の構造」論を展開していったように、すが秀実は、泰淳に見出したフェティシズムを一連の68年論へと接続していった。『増補版 革命的な、あまりに革命的な』(二〇一八年)の解説で王寺賢太は言う。

 

「六八年の革命」が今なお持続的であるという以上、その理論的・思想的核心も希薄に遍在するものでしかありえないだろうが、私はそれを戦後民主主義フェティシズム(呪物崇拝)に対するフェティシスト的闘争、とでも呼べる境位に見出させると考えている。戦後民主主義がリベラルな資本制国民国家の一体制であるなら、そのフェティッシュ(呪物)とは、「国民統合の象徴」としての「天皇」(そして「天皇」と相同的に差別の対象とされる「部落民」)と、資本制商品生産・流通の空間を束ねる「貨幣」にほかなるまい。(「解説 戦後民主主義の「革命的な」批判のために」)

 

 王寺のいう「フェティシズムに対するフェティシスト的闘争」が、先の「文化主義に対立する文化主義」(竹内)に相当することは言うまでもない。戦後民主主義象徴界市民社会に参入すべく敢行された「敗戦=占領」という去勢に対し、それを「否認」しようとするときに天皇というフェティッシュが欲望された。いわゆる「欲望の原因」である。 それによって象徴界の穴が塞がれなければ、自らが去勢されたことが露わになるというおぞましさ=現実界が現れてしまう。もちろん、フェティッシュは任意の「もの」でよかったが、天皇が「欲望の原因」の対象として選ばれたのである。

 

 だが、天皇に対するフェティシズムは、戦後憲法天皇条項に明記されることで「否定」された。「法」とは去勢の結果であるとともに、その「否定」なのだ。明「文化」された法とは、「書くこと」における「フェティシズム=否認」を「否定」し、いわば恥ずかしさを拭い去る機能を果たすのである。以降、人は、去勢され天皇を頂いている(欲望している)という「恥ずかしさ=フェティシズム」を拭い去り、己を、単に法に従い、主権を去勢されていない「主体」としか認識しないだろう。

 

 すがは一貫して、天皇憲法をめぐる「フェティシズム」を露呈させつつ(最近は、主戦場をフェティシズムからトーテミズムに移動させている)、戦後(民主主義)を内側から崩壊させようとしてきた。その天皇というフェティッシュへの接近は、一部に「天皇好き」と誤読させてもきた。

 

フェティッシュに「正面攻撃」を仕掛け、秩序を「打倒」するのではなく、むしろフェティッシュにフェティシスト的に接近しながら、「似ていること」によってそこから隔たりつつフェティッシュの「もの」性を露わにし、象徴秩序を内側から崩落させるこの戦略は、主体の「表現」であるどころか、「私とは他者である」というランボーの詩句のごとく、主体が他者と化し、自らのうちに隔たりを迎え入れる脱主体化の戦略でもある。これこそが、すがが疎外革命論とも疎外論批判ともたもとを分かちながら提起する六八年の革命戦略なのだ。(王寺「解説」)

 

 フロイトは、遺稿「精神分析概説」(一九三八年)で、否認を、精神病のみならず神経症にも認め、それにしたがって「自我分裂」と呼び直していった(松本卓也『人はみな妄想する』)。否認とは、まさに「私は他者である」とばかりに「自我分裂」するということだろう。それは、「私」という恥ずかしさを知覚するがゆえに限りなく否認し続け、「私」から「他者」へと脱中心化していこうとする「運動」としてある。その自我分裂はまさに狂気といえる。だが、それこそが、脱中心化した「無限」空間と化した世界が要請する認識=運動なのだろう。

 

 ここから見れば、天皇を中心としていただく象徴界に自足し、恥ずかしげもなく「私=主体」を振りかざしあう現在のアイデンティティポリティックスは、男根(主体)の不在の否認からくる泰淳の恥ずかしさから、何と後退していることか。「そこにあるのは、男根が互いに相手を否定しようとする行為のみであって、竹内好的な意味でのコミュニケーションは存在しえないからである」(「方法としてのフェティシズム」)。性を問わず、男根たちが互いに相手を否定しようとマウントをとりあうコミュニケーション不在は、今やおなじみの光景だろう。

 

 最後はまた泰淳に戻ろう。

 

(続く)

 

武田泰淳の恥ずかしさ

 

 

 柄谷行人すが秀実が、一九八九年という冷戦終焉の年に、揃って武田泰淳について論じたことは記憶に強く残っている(柄谷行人「歴史と他者」(『終焉をめぐって』)、すが秀実「方法としてのフェティシズム」(『小説的強度』))。むろん、柄谷はそれ以前から何度も泰淳を論じてきたし、すが論はどちらかというと竹内好論というべきだろう。だが、私のような者は、鋭敏な二人がこのとき泰淳について書いたことによって、ようやく冷戦終焉をリアルに感じたのである。

 

武田はいう。《記録と言うとごく簡単に考える人があるが、私は、記録は実におそろしいと思う。記録が大がかりになれば世界の記録になるし、世界の記録をなすものは自然、世界を見なおし考えなおすことになるからである》。

むろん、この言葉は、「主題の積極性」を強調したマルクス主義の文学論に対して向けられている。そして、『司馬遷――史記の世界』も実はマルクス主義歴史認識に向けられていたのである。〔…〕

おそらくマルクス主義の運動のなかで、武田はそのような考えに対する異議を抱いていただろう。マルクス主義からの転向者は、先にもいったようにニヒリズムまたは宗教に向かうか、さもなければ次のような方向に進んだ。それは、ヘーゲルマルクス主義的発展論を変形し、そのようなアジアを解放することを「世界史的使命」として、日本の帝国主義を正当化することであった。これは元マルクス主義者だけが考えだしうる理屈である。武田は、これに異議を唱えるだけでなく、マルクス主義の根底に生き延びているヘーゲル主義を批判しようとしたのである。一言で言えば、彼は『史記』のなかに、ヘーゲル主義的な把握に対立し、且つそれを相対化する視点を読もうとした。それは歴史を空間的に把握することであり、「世界」史から意味・理念・目的を排除し、そこに「中心のない諸関係の体系」を見ることである。(柄谷行人「歴史と他者」)

  

 柄谷は、冷戦の終焉によるマルクス主義の失効を、あくまで「ヘーゲルマルクス主義的発展論」=史的唯物論の終焉とみなし、その後、そうではないマルクス―例えば「交通Verkehr」というマルクス――を見出していくことで、「無限」空間、世界宗教、交換=交通様式から構造的に見る「世界史」へと思索を展開していった。これら無限や世界宗教、交通から構造的に見る世界史などが、すべて武田泰淳と共有された問題意識であったことは言うまでもない。

 

 冷戦が終わって、未来という「時間」が決定的に喪失された世界や歴史は、以降「空間」的なものになっていかざるを得なくなった。グローバル資本主義とはそのひとつの「表現」である。日本のポストモダンは、一方でそれを追認するかのような国際主義と、その裏面の日本回帰として現れた。一方、泰淳は、資本主義世界の勝利どころではない、いわば(全的)「滅亡」を通して「無限」空間を見たのである(「滅亡について」一九四八年)。柄谷が、日本のポストモダニズムは、泰淳に代表される「戦後文学を完全に抹消してしまった」と書いたのもそのためだ。例えば、敗戦時、上海に居合わせ、泰淳と一人の女性を争った戦後文学者・堀田善衛(泰淳が『「愛」のかたち』を書けば、堀田が対抗して『祖国喪失』を書いたのもその争いによる)などの歴史観も極めて空間的である。堀田の『広場の孤独』(一九五一年)の「広場」は、泰淳の見た「無限」空間とパラレルだろう。

 

 泰淳は、主著のひとつ『司馬遷史記の世界』(一九四三年)を、「司馬遷は生き恥さらした男である」と書き始めた。柄谷やすがは、冷戦終焉とともに抹消された「戦後文学」の可能性を、いわば泰淳の「生き恥」に見出したといえる。言い換えれば、それは泰淳=戦後文学の「転向」の問題であった。

 

司馬遷は生き恥さらした男である。士人として普通なら生きながらえる筈のない場合に、この男は生き残った。口惜しい、残念至極、情なや、進退谷まった、と知りながら、おめおめと生きていた。腐刑と言い宮刑と言う、耳にするだにけがらわしい、性格まで変えるとされた刑罰を受けた後、日中夜中身にしみるやるせなさを、噛みしめるようにして、生き続けたのである。そして執念深く「史記」を書いていた。「史記」を書くのは恥ずかしさを消すためではあるが、書くにつれかえって恥ずかしさは増していたと思われる。(武田泰淳司馬遷』)

 

 泰淳が「司馬遷は生き恥さらした男である」と書いたとき、人はそこに、泰淳自身が左翼運動から脱落し、地主階級である寺院に寄生し、さらには愛する中国の侵略に兵士として加担せざるを得なかった自らの「生き恥」を重ね合わせているように読んだ。司馬遷が皇帝から処刑され、死刑か宮刑(去勢)かの選択を迫られて宮刑を選んだことは、まさに死の恐怖に屈して転向するという、典型的な左翼の転向と見なされたのである。

 

 だが、柄谷とすがが批判したのは、むしろ泰淳の「転向」をこのように捉えることだったといえる。

 

くりかえしていうが、武田のいう「恥」は心理的な問題ではない。司馬遷の「恥」について語るとき、彼は「書く」ことの根拠と無根拠を問うていたのである。〔…〕日本の多くの作家にとって、自らの恥を書くことが文学であったが、彼にとって、「恥」は「書く」こと自体にある。何のために書こうと、何を書こうと、「書く」ことは「生き恥をさらす」ことでしかない。いいかえれば、「書く」ことはいかなる意味でも正当化されないのであり、まさにそこにおいてのみ書くことがありうるのである。(「歴史と他者」)

 

 泰淳にとって「生き恥」とは、マルクス主義から仏教に転向したことではない。司馬遷が書くこと自体、生きること自体に恥を感じていたように、泰淳にとっては仏教自体が恥ずかしかった。

 

武士にも遊女にも、精神病患者にも殺人犯人にも「恥ずかしい」という気持は、かならずあるものである。まして僧侶には、人一倍にその気持が濃厚であるはずであるからには、まず「恥ずかしさ」こそ、新生の第一歩と申さねばなるまい。(「私は苦しかった」一九六五年)

 

当時の私は、なにしろ「働カザル者ハ食ウベカラズ」の説を熱愛していたから、労働者でも農民でも商人にでもない自分が、きき目があるのかないのか、死者を極楽・地獄のどちらへ送りとどけられるのか、いっさい不明のまま、白紙に包んだ金銭を受けとり、あまつさえ普通人と同じ色欲をも満喫して、一般家庭よりひろい、樹木も庭も池もある仏閣におさまっているのが、こそばゆかった。恥ずかしかったと言わないのは、平気な顔つきで、私がお寺の坊っちゃま、若先生でありつづけていたからだ。(「わが思索わが風土」一九七一年)

  

 「恥ずかしかったと言わないのは」と言う以上、むろん「恥ずかしかった」のである。だが「恥ずかしい」と言ってしまえば、たちまちそれは自意識的で自己完結的なナルシシズムに陥る。泰淳が司馬遷に見出した「生き恥」とは、歴史を縦に流れる時間的なものと捉えてしまうことで陥る一国(中心)主義的なナルシシズムではなかった。そうではなく、人間や国家が自分一人で生きているのでない以上、どうしようもなく、見回すように無数の他者があたりに充満しているという、空間的な歴史観からくる「恥ずかしさ」だったのだ。

 

 そんな「無限」の空間において、「自分」などと言ったり書いたりしても仕方ない。にもかかわらず、人はあたかもそうした自己完結が可能であるかのように、「自分」の言葉を書かずにいられない。だが、本当に自己完結が可能ならば、どうして他者に向けて書く必要があるのか。「書く」ことは、かくも不可能で不可避な矛盾でしかない。だから「恥ずかしい」のだ。

 

 歴史が時間的なものから空間的なものになれば、自ずと「すべては等価だ」という文化相対主義がはびこるだろう。そして、そのとき何よりも「生き恥」が忘れられよう。だが「生き恥」を忘れて「すべては相対的だ」「だからすべては平等だ」というのは、謙虚を通り越してもはや傲慢でしかない。このとき泰淳の、仏教の、平等主義や相対主義が「恥ずかしさ」とともに要請されるのである。しかし述べてきたように、冷戦後、「戦後文学」は抹消され、「生き恥」は忘れられ、世界は傲慢なまでに謙虚になった。泰淳が「恥ずかしかった」のはこのような事態ではなかったか。

 

 すがが、泰淳の恥ずかしさに見たフェティシズムとは、そのような文化相対主義の傲慢に対する抵抗だったはずである。

 

(続く)

 

保守革命の「時間と自己」

 

 

 亡くなった木村敏は、分裂症親和的な時間を「前夜祭的(アンテ・フェストゥム)」、鬱病親和的な時間を「あとの祭り(ポスト・フェストゥム)」と呼んだ。これらが、ルカーチ『歴史と階級意識』から借用した概念であることは言うまでもない。

 

 ルカーチは、「現在が過去によって支配される」資本主義に規定された保守的な意識を「ポスト・フェストゥム的」と形容した。それに対比させ、フランスの社会学者で精神科医のJ・ガベルは、プロレタリアートの未来希求的なユートピア意識を「アンテ・フェストゥム的」と呼んだ。「プロレタリアートが自由と革命を希求する強烈な未来意識は、新しい時代の到来という祝祭的な気分をすでに先取的に予感している点で、「前夜祭的(アンテ・フェストゥム)」というにふさわしい」(木村敏『時間と自己』)というわけだ。そして、木村はこれに分裂病者の未来先取的な意識構造を、対する「ポスト・フェストゥム」に鬱病者のそれを見出したのである。

 

 だが、アンテ・フェストゥムとポスト・フェストゥムとは対称的でも対立的でもない。木村自身が述べるように、「アンテ・フェストゥムの反対がポスト・フェストゥムだとは言えないのである」。

 

 そのことは、ポスト・フェストゥム/アンテ・フェストゥムが、ルカーチ(あるいはハイデガー)に依拠した概念であることから明らかだろう。すなわち、ポスト・フェストゥムという意識の保守性は、いわゆる「保守革命」(フーゴー・フォン・ホフマンスタール)の時間構造を示しているのではないか。そもそも、リュシアン・ゴルドマン『ルカーチハイデガー』が言うように、ハイデガー存在と時間』がルカーチの『歴史と階級意識』を下敷きにしていることをふまえれば、木村の思考がハイデガー西田幾多郎の影響下にあったことを考えあわせれば、そこからルカーチの参照は必然だったといえる。

 

 ところで、ルカーチハイデガーは、「物象化論=疎外論」という「故郷喪失」のテーマを共有していたが、その故郷喪失=疎外論は、ポスト・フェストゥムにおいては「所有の喪失」として現れる。

 

ポスト・フェストゥム的な過去も、アンテ・フェストゥム的な過去とは似ても似つかぬものである。それは決して過ぎ去って帰らぬものではなく、つねに現在の奥深くに蓄積されている。それは過去というよりは、つねに現在完了としてしか語れないものである。多くの外国語において、現在完了を表すのに、所有の助動詞が用いられるのは、決して偶然ではない。have doneといわれるのは、なされたという形で現在そのことが所有されているからであり、have beenとは、自己がすでにしかじかであったことが現在にまで影響を残しているからである。国語によって、また動詞の種類によって、所有の助動詞のかわりに存在の助動詞が完了型を表すのに用いられることはあっても、事態の本質に差異はない。いままでそうであったことを、いま一種の蓄積として所有しているか、それをいまの自分の状態として存在しているかの見方の差異があるだけである。このことと関連して、鬱病の発病状況がすべて「所有の喪失」としても理解できるのは興味深い。(『時間と自己』)

 

 いわば、ポスト・フェストゥム的な「現在」においては、過去においては所有していた「故郷」が今は喪失されており、しかも喪失されながら「現在の奥深くに蓄積されている」「現在完了」としてある。この「所有の喪失」が、鬱病者に「とりかえしのつかないことをしでかした」「済まないことをした」という未済のまま完了してしまった負債感情=罪責感をもたらすことになる。

 

 だが問題は、この「所有の喪失」が、実際は「喪失」ではないことだ。ポスト・フェストゥムとは、かつて所有したことのないものを「喪失」したという誤認に基づく感情なのである。「メランコリー親和型の人がとりかえしのつかない事態を避けようとするのは、とりかえしのつかない形で自己自身におくれをとるというレマネンツ的なありかたが、彼らの持前の人生設計自身の中にすでに確実にプログラムされているからなのである」(『時間と自己』)。メランコリー=ポスト・フェストゥムにとって、「とりかえしのつかない」状態は、決して想定外ではない。それは、あらかじめ「プログラムされている」ことなのだ。言い換えれば、本当は「故郷」はあらかじめ欠如しているにもかかわらず、それを「喪失」として、とりかえしがつかないという形で「所有」しようとする欲望がメランコリー=ポスト・フェストゥムだといえよう。故郷を回復しようとする「保守革命」が、不可避だが不可能であるように。そして不可避なのに不可能であり、不可能なのに不可避だからこそ、人は鬱病になるのではないか。

 

 初期マルクス的なルカーチ疎外論が実は保守革命的であることは、ソ連崩壊後、いやスターリン批判以降、隠しようもなく露わになった。ポスト・フェストゥムとは、こうして「近代=現代」(モダン)という時間構造を、それなしでは「のりこえ不可能」(サルトル)だったマルクス主義という「歴史の必然」が機能しなくなって以降の「時間と自己」のことであり、つまりわれわれ誰もが免れ得ない「鬱」のことなのだ。『時間と自己』が、そしてポスト・フェストゥムが、ある程度人口に膾炙したゆえんである。

 

 ここにはもうアンテ・フェストゥム的な未知の未来は存在せず、ポスト・フェストゥム的な現在の延長としての未来しかない。中井久夫は、江戸時代の「立て直し」路線に鬱病を、「世直し」路線に分裂病との親和性を見たが(『分裂病と人類』)、現在とは後者なき世界である。「彼ら(注-鬱病者のポスト・フェストゥム的意識)は未知なる未来を見ようとしない。「未知なる未来」という観念すら持ち合わせていないかに見える。彼らにとってあるべき未来とは、これまでのつつがない延長にほかならない〔…〕」(『時間と自己』)。

 

 おそらく、その後木村が「イントラ・フェストゥム」(祭りのさなか)という「第三の狂気」を見出さねばならなかったのもそのためだ。「イントラ・フェストゥム的意識に特徴的な時間構造は、いうまでもなく、現在への密着ないしは永遠の現在の現前である」。ここではこれ以上展開できないが、これは前回のエントリーで述べた、デリダの見た、「狂気」のシンギュラーな「瞬間」とある程度親和的であるように思う(『時間と自己』の最終章には、デリダの名がさかんに引かれている)。いずれにせよ、マルクス主義歴史観が失効して以降を生きるわれわれは、いまだ木村の思考した「時間」と「自己=狂気」の中にある。

 

中島一夫