「新しい生活様式」について

 「新しい生活様式」は、決して「新しい」ものではなく、いわゆる(多文化主義的)「寛容」の完成形態に思える。

 

 ネオリベ以降、われわれは他者と適切な距離を置くべきだとする、「寛容」な社会を求められてきた。あらゆるハラスメントはアウト、もちろん人種的な区別(差別)もアウト、タバコもアウト、アルコールも脂肪分の多い食事もあなたの健康増進のために(すなわち国家の福祉や医療体制に「負担」がかかるので)アウト。

 

お互いに「寛容」な社会を手に入れるには、さまざまな快楽や欲望が規制され、また禁止されなければならない。オンライン飲み会では、酔ってからんだりからまれたりといったハラスメントは発生しようがない。もしそこで言葉のハラスメントがあれば、それはすべて「記録」されている。だが、それは今にはじまったことではないだろう。

 

 ジジェクは、「寛容」の究極形態を、キルケゴール『愛のわざ』における隣人愛に見た。キルケゴールは、キリスト教徒にとって究極の愛すべき隣人とは、死んでいる隣人だと言った。隣人が、それぞれ特異的な享楽を抹消された、まるで死人のような他者であれば、われわれはすべての他者を「寛容」に愛せる――。すなわち「寛容」とは、他者の享楽に対する「不寛容」にほかならない。パチンコやバーベキューや店を営業していることに対する「自粛警察」は、他者が享楽を放棄しないことへの「不寛容」そのものだろう。「寛容」な社会においては、このような己の享楽を盗まれたことへの「不寛容」な「警察=懲罰」行為は不可避的だ。そして政治は、事態を「戦争」と捉えることで、民衆の享楽(の放棄)を操るだろう。

 

私にとってそうした享楽の最も明白な一例は、いわゆる総力戦Totalkriegに関する一九四三年のゲッペルスの演説です。スターリングラード敗北後、ゲッペルスはベルリンで総力戦を呼びかけたスピーチの最後をこう結びました――「あますことなく日常生活を捨て、国家総動員を導入せよ」と。〔…〕彼は群衆に、必要ならば一日十六~十八時間働くのも厭わないか? と尋ね、群衆は「イエス!」と答えます。あらゆる劇場と高級レストランを閉鎖することも惜しまないか? と尋ね、そしてまた群衆は「イエス!」と答えるのです。そして群衆にあらゆる快楽を放棄させ、またより困難な過酷さに耐えることを問う、こうした一連の問いかけの後、最後に彼はほとんどカント的(表象不可能な崇高なものを喚起させるという意味でカント的といっているのです)とも言える問いを投げかけるのです――「君たちはどれほど全体的であるかを想像できないほどの総力戦を欲するか?」と。すると狂信的でわれを忘れた声が群衆のなかから聞こえて来るのです――「イエス!イエス!イエス!」と。ここに最も純粋なかたちで政治的なカテゴリーとしての享楽があるのだと思います。〔…〕この禁止命令は、人びとに日常的な快楽を放棄せよと要求しながら、享楽そのものを備給しているのです。そしてこれこそが享楽なのです。(『ジジェク自身によるジジェク』)

 

 現在の事態を「戦争」の比喩で語る言説が、どんなに粗雑なものであれ警戒されなければならないのは、それが快楽の放棄と引き換えに享楽を備給しているからだ。そしてそれは、一見対極に見えるものの、あの「寛容」な社会への誘いと別のものではない。

 

中島一夫

 

大西巨人と中村光夫の論争 その4

 中村は、自らの短編集『虚実』(一九七〇年)の「あとがき」に次のように書いた。

 

事物を言葉で表現するのは、何らかの形で嘘をつくのを強いられることだが、嘘が嘘としての機能を果たすためには、本当に見えなければならない、という当り前のことが、いくぶん実地に即して呑みこめました。総題を『虚実』とつけたのは、そういう気持からです。そこにあることは全部嘘と言えば嘘ですが、だからまた本当かも知れないのです。

 

 それに対して大西は、アプトン・シンクレアーの「作者の叙」を引きながら、次のように批判する。

 

「この小説作品(work of fiction)の中には、F・D・ローズヴェルトの登場する場面が、幾つかある。作者は、かつて作者がカリフォルニア州知事に立候補した際、ローズヴェルト大統領と二時間余の愉快な会談をしたことがあったが、そののち彼と個人的接触がまったくなかったので、彼の行動態度の由って来たる所に関する直接的知識を少しも持っていない。この書物の中の諸場面は仮構(fictional)であり、それらについて作者は、大統領にも同夫人にも、なんら相談しなかった。大統領の外貌、個人的習癖および環境にたいする作中描写は正確である、と作者は保証することができる。しかし、大統領の発言した物として記述せられた言葉は、彼の精神について作者が行なった推定を表しているに過ぎない。(“PRESIDENTIAL AGENT”,’Author’s Note’)」

 

もしもアプトン・シンクレアーのこの「作者の叙」が「虚実をうまくとりまぜる」とか「仮構と経験をどこでつなぐか」(『虚実』の「あとがき」)とかいうことに直結せる意味において書き添えられたのであったならば、それは、啻に滑稽または無意味な事態であったろうのみならず、まさに彼の作家としての鼎の軽重が問われてしかるべき仕業でもあったろう。もちろん実際上シンクレアーは、――たとえば『赤と黒』の巻末付言におけるスタンダールと同様に、――一定の社会的・政治的な配慮(そこでは特に「モデル問題」にたいする配意など)のゆえに、前期「作者の叙」を書き入れたのであった。(「作者の責任および文学上の真と嘘」一九七三年)

 

 

 

 大西にとっては、中村のように「虚実とりまぜる」とか「全部嘘と言えば嘘ですが、だからまた本当かも知れないのです」という言い方は、物事を観念的にしか追究していない「作家」のあいまいなレトリックにしか見えなかった。対するアプトン・シンクレアーは、まさに「公人」として「モデル問題」にも配慮しながら、自作が「仮構の真実」の創造だということを主張したのである、と。

 

 大西には、中村の「虚実ないまぜ」というスタンス自体が許せなかった。繰り返せば、大西によれば、「文学上の真と嘘」と「現実上の真と嘘」の位相は明確に区別されねばならず、そのためには作家の「公人」としての自覚を要する。「公人」の自覚のない者が「仮構」を行えば、両者の位相が(また「語り手」と「作者」が)「混同・同一視」され、ひいては虚と実が「ないまぜ」になってしまう。そのようになってしまったのが、いわゆる「私小説」ではなかったか。ならば、「私小説」をあれほど批判してきた中村は、自身が「私小説」に堕してしまってはいないか。

 

 だが問題は、「その3」で述べたように、大西の言う「公人」や「普遍性」がいまや揺らいでいることだった。であれば、大西が重視すべきだったのは、中村の『虚実』「あとがき」の引用でいえば、むしろ前半部だったのではないか。中村の主題は、むしろ「事物を言葉で表現するのは、何らかの形で嘘をつくのを強いられることだが、嘘が嘘としての機能を果たすためには、本当に見えなければならない」という部分にあったからだ。中村のいう「嘘」とは、端的に「言葉」は「嘘」だということであり、言葉の表象=代行(リプレゼンテーション)の不可能性にほかならない。中村にとっては、言語が媒介する以上、事物をそのまま写実することなど不可能であり、言語そのものがつねにすでに仮構性をはらんでいる。あくまで中村から見れば、ではあるが、大西にはこの言語の位相への視点が欠けていたのである。

 

 大西にとっては、それが「文学上」であろうが「現実上」であろうが、「真と嘘」は「作家」の意識や自覚に左右されるものである。言い換えれば、「真と嘘」は書き手がコントロールできる(またしなければならない)次元に存するのだ。たとえ現実的にあり得そうもないこと(大西が例に挙げるのは、「たとえば一人の男がある朝ベッドの上で一匹の毒虫に変身して目覚めること」や「白髪三千丈/愁ニ縁ッテ個ノ似ク長シということ」などである。「『写実と創造』をめぐって」一九七〇年)が書かれてあっても、それが「公人」の自覚によって「仮構の真実」の創造としてなされているのなら、文学上の「真」であり得るのである。一見私的(特殊性)でしかない言説が、だが「公人=普遍性」においても「真」である、そうした「確証と確信」があって初めて「公表」に踏み切るのが、「言論・表現公表者の責任」というものだ――。

 

 だが、そのことは、例えば「小説はあらかじめ予定された客観的真実を表現するものではなく、作家の自由な想像力の所産としてそれ自身が真実に達しなければならないのです。ある事実を言葉によって現わすことは、これを必然に不完全にしか再現しませんが、小説の真実性は完全でなければなりません。小説の仮構性はそこから出てくるので、フィクションとは勝手な筋をつくりあげるのでなく、完全な真実を表現のうちに所有するための手段なのです」(「ふたたび政治小説を」一九五九年)という中村にとっても同じだった(同様な主張は中村の至る所に見られる)。「小説の真実性は完全でなければなりません」は、大西のいう「独立小宇宙の完結」にほかなるまい。実際、中村と大西の「小説」観に大きな隔たりがあるとは思えない。「論争」というものの常だが、むしろ類似した立場が「対立」となる(ちょっとの違い、それが困る)。

 

 ここでも、中村にとって重要なのは、むしろ前半部「ある事実を言葉によって現わすことは、これを必然に不完全にしか再現しません」という部分だった。中村にとっては、言葉というものが、真実を追求すればするほど遠ざかるものであり、「その限りにおいて」、真実はあると逆説的にしか捉え得ないものだったのである。

 

小説の仮構性が、その真実性を阻害しないのは、言語による現実の表現には、真実を追求すればするほど真実をはなれざるを得ないという性格があるからです。(「仮構と告白」一九六七年)

 

 真実=故郷はあらかじめ「喪失」されている――。中村には、自らがどうしようもなく「故郷喪失者」であるという「自覚」があった(その意味で、「故郷を失った文学」の人の影響下にあった)。というか、おそらくそれは「公人」の「自覚」と引き換えのものなのだ。「公人」が揺らぐことが、「故郷喪失者」の「自覚」を生じさせるのである。

 

 中村の「虚実ないまぜ」は、意図的にできるものではなかった。あらかじめ真実=故郷が喪失されている以上、いくら「公人」の「自覚」をもって「虚」と「実」とを「混同・同一視」するなと言われても、中村においては、「虚実」はアプリオリに「ないまぜ」なのである。中村にとって「仮構者」は、「自覚」の問題ではなく不可避的なものだった。逆にいえば、それが中村の「転向者」の「自覚」であっただろう。何度も述べてきたように、中村にとって「転向」は、マルクス主義ではなく言語の問題だった。

 

 一方大西は、自らが「転向者」と認めたことはなかった。だからこそ、大西の「転向」を問題にしたすが秀実大西巨人の「転向」」(二〇一八年)は、読む者を震撼させたのである。そこでは、大西作品に見られる「認知症」(「忘れました」!)への「恐怖」が、転向=変節=俗情へと堕することへの「恐怖」として捉え返されている。そういえば、「その3」で述べた『迷宮』における「言論・表現公表者の責任」も、「認知症安楽死」問題に即して提示されていた。述べてきた文脈で言えば、それは「公人」であることを喪失する「恐怖」であり、また「認知症」によって「言論・表現」が「虚実ないまぜ」に陥ってしまうことへの「恐怖」と背中合わせだったということだろう。

 

 中村は、それまで単に師弟関係と捉えられてきた、万象の「真実」(真物)を「模写」すべしという坪内逍遥と、あくまで「模写と言えることは実相を仮りて虚相を写し出すということなり」と言った二葉亭四迷との間に、確信をもって明確に線を引いた批評家だったといえる。中村の『二葉亭四迷伝』が、(大西の「公人」が揺らぎはじめた)スターリン批判の一年後から連載が始まっていることは、もう少し注目されていいのではないか。中村においては、スターリン批判以降の状況は、かつて自らが中野重治ら「転向作家」との論争の渦中にあった、一九三〇年代の反復に見えただろう。

 

 二葉亭においては、最初から「虚(相)」と「実(相)」は「ないまぜ」だった。だからこそ、自らリードした言文一致による模写=リアリズムに対しても、一貫して「懐疑派」(「私は懐疑派だ」)だったのだ。中村はそこに、自らと重なる「転向者=懐疑派」の「自覚」を見たのではなかったか。中村もまた、「近代=言文一致」に対する「疑惑」を抱き続けた作家であり批評家だった。二葉亭にとって言文一致への「懐疑」は、そのまま師である逍遥への「懐疑」だったように、中村にとって「『近代』への疑惑」(一九四二年)は、そのまま「近代の超克」会議の中心人物であった師・小林秀雄への「疑惑」だったに違いない。

 

中島一夫

 

大西巨人と中村光夫の論争 その3

 小説における「仮構」が、「いい加減な作りごとの方向」に逸脱せずに、「独立小宇宙」として完結した「仮構(の真実)」たり得るには、小説家が「公人」としての自覚を持たねばならない。そして、そのことによって、「語り手=ファクト・テラー」と「作者=フィクション・メーカー」とが本質的に区別されねばならない、というのが大西の主張であった。では、大西のいう「公人」とはいったい何か。

 

 それを明言するのは難しい。だが、そのことを考えるうえで避けて通れないのは、これまた大西のキーワードである「言論・表現公表者の責任」の問題だろう。大西の小説、エッセイを問わず盛んに披歴される主張だが、ここではややまとまったテーマとして展開されているミステリー『迷宮』から引いておこう。

 

しかし言論・表現公表者の公表行為は、到底「私一個の心構え」ではあり得ず、必ず常に言わば「社会一般に施す法として考えた場合のもの」であらざるを得ない(なければならない)のです。つまり言論・表現公表者の作物は、必ず常に「社会一般に施す法として考えた場合のもの」として世に出されねばならず、また社会からそのようなものとして享受されることを覚悟していなければなりません(この場合、「法」が広義のそれ・狭義の「法」を内包する言葉・次第によっては狭義の「法」と対立背反する実体・人倫の道・倫理を指示するのは、私が断わるまでもないことでしょう)。それが、言論・表現公表者の責任です。

 

 ここは、「頭が駄目になったらば、そのときは自分で始末をつけますよ」という、いわば「認知症」による「安楽死」を、私的に肯定するだけでなく、それを「言論・表現」として「公表」する場合の問題が議論されるくだりである。そこで「私」はこう考える。

 

すなわち彼がそれを彼「一個の心構え」として抱くこと(そして黙黙として実行すること)または私的に語ることは自由ですが、それを公表する自由は彼にないのです。彼がその「私一個の心構え」を「公表」するとき、その公表行為の客観的効果の主要な一つは、人々にたいする「自殺」または「安楽死」の勧誘ないし奨励ないし強制なのだから。それが「私一個の心構え」であるのみならず、「万人の心構え」であるべきだ、という確証と確信とに立ち得た場合に、彼は、初めて公表し得るのです。〔…〕〝「自殺」または「安楽死」が至善公正であっても、――言い換えれば、「自殺」または「安楽死」が邪悪不正か至善公正かにかかわらず、――その肯定を彼が「彼一個の心構え」とのみ認め、「万人の心構え(たるべきもの)」と(確証と確信とをもって)認め得ないならば、それをそれとして公表する自由は彼にない。〟と私は言っているのです。

 

 「私一個の心構え」のみならず「万人の心構え」であるべきだという「確証と確信」が「言論・表現公表者」には不可欠である――。先の引用に「人倫の道」なる言葉もみられるように、ここではヘーゲルの「人倫」の実現が理想とされていよう。ヘーゲルは、「人倫」の具体的な現実を、「家族」から「市民社会」をへて「国家」において完成すると考えた。そのとき「市民社会」は、「特殊性」を一原理としながら、だが同時に「普遍性」の原理を持たねばならない。「特殊性=私一個の心構え」は、「普遍性=万人の心構え」に媒介されて、はじめて他の「特殊性」、ひいてはあらゆる「特殊性」をも生かすことができる。ヘーゲルは、この「市民社会」の理念の完成を「国家」に見た。

 さらにマルクスが、そのヘーゲルの枠組みを継承しながらも、プロイセン流の立憲君主制の域を出なかったヘーゲルの「国家」を批判的に換骨奪胎し、特殊と普遍とが真に一体となった「民主制」を構想する。それがのちに「共産主義」へと置き換えられていったことは、今さら言うまでもない。明らかに大西のいう「言論・表現公表者の責任」は、このヘーゲルマルクス的な「特殊性=私一個の心構え」と「普遍性=万人の心構え」とが止揚された精神に基づいている。大西のいう「公人」もまた、こうした「人倫」を体現した存在だと考えられよう。「仮構によって、そしてただ仮構によってのみ、普遍の物とすることのできる真実を語るのが、まさしく小説家の任務ではないか」(「公人にして仮構者の自覚」一九五八年)。

 

 大西にとっては、等身大の作家など「私的」な存在でしかない。したがって、「公人の自覚」がなく、「語り手」が「作者」自身と癒着してしまったかのような、いわゆる「私小説」は、ついに「私的=特殊性」でしかない。それが「普遍性」を目指した時に、「語り手」と「作者」とが分離した「人倫」的な「公人」が公事を語る、いわゆる「仮構(の真実)」が要請されるのだ。そのとき、小説作品は、はじめて「独立小宇宙」として完結するだろう。

 

 大西が「公人」を、例えば「共産主義者」と呼ばなかったのは、先に述べたように、やはりスターリン批判の嵐が大きかったのではないか(「公人にして仮構者の自覚」が書かれたのはスターリン批判の二年後であり、また大西が日本共産党と「絶縁状態」になる三年前である)。いわばこのとき、「共産主義者」と「公人」とが等号で結ばれること自体が、疑われ始めたのである。大西が、いわゆる「主人持ちの文学」(志賀直哉)を退けたうえで、なお存在するはずの〈ある制約〉を唯物論的に追究せねばならなかったゆえんである。

 

むろん私は、「文学が主人持ち」であることを肯定したのではない。しかし、私は、〝世界の人間的諸活動には〈ある制約〉があり、その部分としての文芸にも〈ある制約〉がある。そしてその〈ある制約〉すなわち〈ある「不自由」〉は、すべからくあるべきだ。〟と信じるのです。

 その〈ある制約〉を、「神」などの唯心論的・超越的な非存在に依拠することなく、唯物論的に究明することが最も肝心な要請だ、と私は考える。約五十年前、ジョージ・オーヱル〔…〕は、アーサー・ケストラー――例の『真昼の暗黒』の作者ですね、――にたいする彼の批判の中で、「あの世は存在しないということを受け入れた上で、どんなふうにして宗教的心性を復興樹立するかが、真の問題だ。」と断じました。私は、ここになお今明日におけるわれわれ人間の中心課題がある、と信じるのです。文芸における〈ある制約〉も、そのように唯物論的に究明・確立されねばなりません。

 

 大西の「公人」が、スターリン批判=主人「なき」文学以降の〈ある制約〉を、きわめて唯物論的かつ真摯に「究明」していったことは論を俟たない。だが、「仮構者」としての作家を支える「公人」という存在が、まさに時代の〈制約〉の中で、不可避的に揺らいでいったこともまた確かなのだ。

 

(続く)

 

大西巨人と中村光夫の論争 その2

 大西は、まず「私小説」ではなく「一人称小説」と呼び、それを定義する。

 

私は、この文章の中で「一人称小説」という言葉を使うから、初めにその我流の意味を説明しておく。つまり私は、それを定義しておく。ある作の(一人称の)語り手が同時にその主人公(能動的な主要人物)でもあるという形式の物、たとえばチェーホフの『妻』、ヘミングウェイの『武器よさらば』、フォークナーの『征服せられざる人人』、マンの『道化者』、大岡の『野火』、三島の『仮面の告白』、……を、私は、「一人称小説」と呼ぶ。いまの私自身は、「一人称小説」にある特殊な愛着を持っている。非「一人称小説」に比べて、この形式は、綜合的な仮構世界を構成することの上で、いくらか余計な制約を伴っているかもしれないけれども、その代わり独特の迫力と精力(エネルギー)の充実感とを表わし得る、と私は考える。(「公人にして仮構者の自覚」)

 

 「一人称小説」とは、「(一人称の)語り手が同時にその主人公(能動的な主要人物)でもあるという形式」の作品であるが、大西にとって最も重要なのは、その際「語り手」と「作者」が明確に区別されていることだ。

 

では、何が実在の作者と非実在の語り手との本質的な差別であるか(あらねばならないか)。語り手にとって彼の物語る現実は必ず常に事実であるにたいして、作者にとって作品現実は必ず常に仮構(の真実)である、――二つの型を通じて、これが、語り手(ファクト・テラー)と作者(フィクション・メーカー)との根本差別(本質的差別)である。語り手(主人公)は常に彼の事実を語っていて、しかも同時に作者は常に彼の仮構を語り手に語らせている、という二重関係の成立が、「一人称小説」の大原則でなければならない。

 

 大西が重視するのは、「一人称小説」のこの「二重関係」である。すなわち、「語り手」が「非実在」でありながら「彼の物語る現実は必ず常に事実である」一方で、「作者」は「実在」しているものの「作品現実は必ず常に仮構(の真実)である」という、両者のねじれた関係である。この「ファクト・テラー=語り手」と「フィクション・メーカー=作者」との「根本差別(本質的差別)」こそが、「一人称小説」を支える「大原則」なのだ。

 

 すぐに気づくことだが、この「語り手」と「作者」の区別は、何も「一人称小説」に限定されるものではないだろう。では、なぜ大西は、ほかならぬ「一人称」の小説についてこの「大原則」を持ち出したのか。もちろん、このエッセイ自体が、佐藤春夫の「一人称小説」である『わんぱく時代』への批判として書かれていることや、大西自身が「一人称小説」に「独特の迫力と精力の充実感とを表わし得る」可能性を感じていたこともあろう。

 

 だが、おそらくその根底には、いわゆる日本の「私小説」を理論的に批判するというモチベーションがあったのではないか。大西も次のように言っている。

 

複雑な混同・本質的差別の無視によって惹き起こされたあやまりを含んで、あるいはあやまりそのものとして、出来上った片端の(堕落した)「一人称小説」または非小説が、これまで「私小説」と概括して呼ばれてきたのである。――初めに断わったように、便宜上私は、問題を「一人称小説」に限って取り扱ってきたが、そこで私が与えた説明の主旨は非「一人称小説」にも妥当する、と私は信じる。

 

 「私小説」とは、あの「語り手」と「作者」の「本質的差別」の「無視」によって出来上がったものにほかならない――。これが「私小説」に対する大西の根本的な批判である。だからこそ、「私小説」とは呼ばずに「一人称小説」と「定義」し直し、その「大原則」を掲げることで、「片端」で「堕落した」まま続いてきた日本の「私小説」を正そうとしたのだろう。「語り手」と「作者」の区別の「無視」は、次のように「私小説」へとなし崩しになっていくと大西は言う。

 

〔…〕本質的差別の無視は、作者が作者自身すなわち仮構者(フィクション・メーカー)を語り手すなわち実話者(ファクト・テラー)と取り違えるのであるから、「一人称小説」の大原則への違反である。語り手は常に彼の事実を語っていて、しかも同時に作者は常に彼の仮構(への真実)を語り手に語らせているという、あるべき二重関係が、そこで破壊せられる。語り手は「彼の」でなく「作者の」事実を、しかもしばしば不十分に語っていて、したがって同時に作者は彼の「仮構の真実」をでなく「事実」を、しかもしばしば不十分に語らせている、というあるべからざる二重〔?〕関係が成立する。この時作者は、仮構者の自覚ならびに責任を放棄しているのである。語り手が「彼の」でなく「作者の」事実を語る(語らせられる)とき、語り手の知ろうはずがなく語るべきでない事柄を語るあやまりも生じる。また語り手が「彼の」でなく「作者の」事実を不十分に語るとき、彼のまさに知っていて語るべきである事柄を語らないあやまりも生じる。そして作品現実は、それだけ(仮構の)事実から遠ざかる。

 

 では、「一人称小説」であるべきが「不十分」な「私小説」へと「堕落」する根源的な原因はどこにあるのか。大西はそれを次のように述べる。

 

本来、小説家が彼の「仮構の真実」を語り手に語らせる(語り手を通じて語る)という行為は、半面では小説家が小説作品の「小宇宙としての完結」を追求することを意味し、半面では小説家が主人公としての公事を語る(語らせる)ことを意味し、その小説に仕立てられる対象がもと私事であると否とにかかわらず決して私人として私事を語る(語らせる)ことを意味しない。仮構者にして公人、公人にして仮構者、――これが小説家である。ところが、作者が自己を実話者(語り手)と同一視して仮構者の自覚ならびに責任を見失うと、その作者は同時に公人の自覚ならびに責任を多かれ少なかれ見失うことにもなるのである。

 

 大西にとって、小説家はまずもって「仮構者=公人」でなければならない。仮構者は、いかにして「公人」たり得るか――。大西の小説観のアルファにしてオメガである。中村光夫に対する批判も、要は中村が「仮構」(奇しくも「仮構」は中村も多用するタームだ)に対する自覚を欠くということに尽きる。同じく「仮構」を重視していても、そこに「公人」としての自覚が欠如しているために、「文学上の真と嘘」の位相と、「現実上の真と嘘」の位相とが、区別されずになし崩しに癒着してしまっているのだ、と。

 

 では、「公人」とはいったい何なのか。そこに、同じく「仮構」を重視する大西と中村とを分けるものがある。それによって、両者の言う「仮構」の意味も異なってくるのだ。

 

(続く)

 

大西巨人と中村光夫の論争

 一九七〇年代に交わされた大西巨人中村光夫の論争は、リアリズムについて考えさせる。大西「観念的発想の陥穽」(七〇年三月)→中村「写実と創造」(同年四月)→大西「『写実と創造』をめぐって」(同年四月)→中村「批評の基準について」(同年五月)と応酬があり、当時は、川村二郎が論争に計三度言及するほどそれなりに注目された。大西は、川村の言及もふまえて論争全体を振り返り、総論的に「作者の責任および文学上の真と嘘」(七三年五月)を書いて、論争はひとまず終結した。

 

 論争は、もともと大西が、中村の小説『贋の偶像』(六七年)中の「ローゼン公使代参光景」の描写を、「現実的にあり得ぬ」ものとして批判したことに端を発する(大西は、同様に三島由紀夫の『奔馬』の一場面についても批判しており、ことは先日のエントリー「中村、三島、転向」の問題全体にかかわる。要はリアリズムの問題だ)。中村が、自らの描写の「現実」性の担保として、元外交官からの手紙をもってきたかと思えば、対する大西はソ連作家同盟の手紙を自説の根拠として持ってきてマウントをとった。これだけ見ると、争点は単に描写のリアリティの問題のように見える。

 

 この論争について、ここで細部を追うことはできない。大西の主張のコアにあるのは、次のような主張である。

 

私の一眼目は、「事実にたいする厳密な態度」というように要約せられるべきではなく、たとえば「文学上の『真』と『嘘』とにたいする厳密な態度」というように要約せられるべきである。「文学上の『真』と『嘘』とにたいする厳密な態度」は、「現実上の『真』と『嘘』とにたいする厳密な態度」から本源的に出発し、そこで後者といったん訣別(絶縁)するけれども、しかも両者の間には、深奥的・辨証法的な調和または統合または照応の連鎖が、そこはかと、あるいは隠然と、保有せられる。(「作者の責任および文学上の真と嘘」)

 

 この論争において、大西は一貫して「文学上の真と嘘」と「現実上の真と嘘」とを峻別している。そして、この位相の区別が中村には存在しない、というのが、大西の批判の骨子であろう。大西はこう断じる。

 

如上の「理解不能」や「混同・同一視」やが、「日本(亜)自然主義文学」ないし「私・心境小説」にたいする中村の(『風俗小説論』前後より今日までの)批判論――ひいては中村の文学論一般――の根本短所を作り出している、ということに、「評家」中村は、いっこうに気づくことができない。如上の「理解不能」や「混同・同一視」や「作品にたいする作者の責任の無自覚」やが、長編『わが性の白書』、長編『贋の偶像』、短編集『虚実』、長編『平和の死』などの主要弱点――わけても「日本(亜)自然主義」的人間観と語の真義における「私小説」的属性との全編的浸潤――を招来している、ということに、しかし「作家」中村は、遅蒔きながら心づくべきである。 

 

 この論争の重要性は、中村光夫の「文学論一般」であり、中村が生涯をかけたと言っても過言ではない、その「「日本(亜)自然主義」ないし「私・心境小説」への批判を、大西が全面的に退けたことにある。ことは、中村の一小説の一描写にとどまらない。上記から、大西が、ほぼ文学者中村光夫の総体――批評家としても作家としても――を否定していることがわかるだろう。繰り返せば、大西の主張の根幹には、中村が「文学上の真と嘘」と「現実上の真と嘘」とを「混同・同一視」しているということがあった。

 

 さらに重要なのは、この論争自体は七〇年代に入ってから表面化したものの、実はすでにスターリン批判(一九五六年)以降にその兆しは胚胎していたと思われることだ。大西の「「指導者」失格」(五七年四月)、「公人にして仮構者の自覚」(五八年九月)、「内在批評と外在批評との統合」(五八年十月)などは、論争の「序章」ともいえる。とりわけ、「公人にして仮構者の自覚」は、大西の「私小説論」といってよい。中村の私小説批判に対する批判は、すでにここから始まっていよう。では、大西は、「私小説」の問題をどのように捉えていたのか。

 

(続く)

 

石川義正『政治的動物』書評

 

政治的動物

政治的動物

  • 作者:石川義正
  • 発売日: 2020/01/23
  • メディア: 単行本
 

 

 

群像 2020年 05 月号 [雑誌]

群像 2020年 05 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 雑誌
 

 「群像」5月号に、石川義正『政治的動物』の書評「疎外はのりこえられたか」が掲載されています。よろしくお願いいたします。

 

 

疎外された天皇――三島由紀夫と新右翼

 

三島由紀夫1970 (文藝別冊)

三島由紀夫1970 (文藝別冊)

  • 発売日: 2020/03/28
  • メディア: ムック
 

 発売中の『三島由紀夫1970』(文藝別冊)に、拙稿「疎外された天皇――三島由紀夫新右翼」が掲載されています。よろしくお願いいたします。